昼下がりのコアラ

興味のあることを記事にします。暇つぶしにどうぞ。

「人の立場に立つ」 ことを考えてみた

 

人の立場に立って考えなさい。

子供の頃よく言われた。

大学でも言われた。

put yourself in their shoes

直訳は、[相手の靴を履いてみなさい]

 

それについて考えた。

例えば、道端のホームレス。

 

もし私が、さっき通り過ぎたホームレスだったら、何をしてほしいと思うだろうか?

この考え方は、私という人格はそのままに、ポジションをホームレスに変えた考え方。

 

お腹が空いているんだろうか。

安全な住処がなくて不安なんだろうか。

 

色々考えてみたけど、なんかしっくりこない。

昔から、「あなたが〇〇ちゃん/くんだったら、どう思う?」という質問にうまく答えられなかった。

 

それは、「私」という人格は、私が人生において積み重ねた選択の上に立つ存在だから。

AとBの選択肢があって、例えばその分岐が4段階あるとしたら、2×4で8通りの選び方(=人格)がある。

わたしがA→A→A→Aと選んだとしたら、B→B→B→Bの人の立場に立って考えられるだろうか。

 

それは、「わたしだったらどう思う?」の質問と相反している気がする。

「わたしだったら」Aを選ぶのだから。

 

 

 

というところまで考えて、もう一度「人の立場に立つ」を考えてみる。

 

それは、「私」と「相手」は違うと認めて、理由はどうであれ相手がB→B→B→Bを選んだということを理解して(相手の人格形成の経緯を理解して)、

「相手」を単体ではなく

「B→B→B→Bの選択をした相手」としては、どう思うんだろうか?

 

ということを想像するのが、私にとっての答えかなぁと思った。

 

 

ホームレスの例に戻ると、

貧しくてホームレスになった人もいれば、

定住にとらわれず生きていきたいと思ってホームレスになる人だっているかもしれない。

 

それがわからない段階で、初対面の人にできることなんて何もないよなぁと思う。

相手のステータス(性別、年齢、社会的地位など)から最大公約数的に対応することはできるけれど。

 

ステータスのわからない、カオナシみたいな人が目の前に現れたら、どうしたらいいんだろう。

 

 

 

というようなことを、駅周辺のホームレスのたまり場を見つけて、自分が今そこにちょこんと座ったらどうなるんだろう?と想像しながら思った。

 

きっと、ホームレスはスマホも何もないんだろうけど、その人たちはインターネットではなく生の現実に向き合って、「今日どう生きる」ということだけを、真剣に考えて生きているように見えて、それは素晴らしい生き方だなと自己完結してしまった。

 


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