昼下がりのコアラ

興味のあることを記事にします。暇つぶしにどうぞ。

東京にいなければいけない、と思っていた

 

漠然と。

 

東京にいなければ、取り残される。

東京にいなければ、将来的に海外に行きづらくなる。

東京にいなければ、仕事の種類が限られてしまう。

 

東京にいなければ、出会いが少なくなる。

 

そんなような考えを持っていたんだと思う。

 

たしかに、神奈川の東京寄りから、海よりへ、引っ越した。

だけどその決断は、自分の意思と、一緒に住むことになった人への気持ちが入り混じっていて。

 

仕事は完全在宅勤務で、都心に通わなくても良くなった。

 

でも、東京から離れたことで、転職しづらくなったんじゃないか?

もし出勤のある仕事になったら、毎日片道1時間かけて都心に通えるのか?

都内にいる友達と会いづらくなるんじゃないか?

 

そんなことを気にしていた。

 

そもそも転職したいのか?

出勤のある仕事に?

都内にいる友達って具体的に誰?

 

不確実性が高すぎる。

 

 

昔からそうだけど、潰しが効くとかそういう思考だった。

選択肢の幅を狭めるのが嫌だった。

可能性を絞るのが嫌だった。

 

何にも縛られずに、自由に好きな時に好きなことをしていたい。

 

それは、人と住むことを諦めなければいけないということ。

ルーティーンがないということ。

常に心ここに在らずなこと。

自分が将来何がしたいかをわからないということ。

 

Into the wildで、主人公のクリスが、やりたいことをやり続けた末にたどり着いた答えは

Happiness is only real, when shared.

 

私が海外でやりたいことは、

ただ1人でいろんな地を巡る旅ではなく

新しいところに行き、その地をじっくり味わい、人間関係を築き、自分にとって居心地の良い場所とすること。

そしてまた、新しい地へ。

そんな生き方をしたいよう。

 

それにつながることは、今ここでもできるんではないか?

この地で人間関係を築き、自分を居心地良くするにはどうしたらいいんだ?

 

そのためには、対人ではなく

対自分で、自分の居心地の良さに敏感になること。

どういう1日なら、幸せでいられる?

どういう朝なら?昼なら?夜なら?

どういう1週間なら?

どういう1ヶ月なら?

どういう3ヶ月なら?

どういう1年なら?

どういう3年なら?

どういう5年なら?

 

コロナきっかけで引っ越したけど、東京に対する憧れだったり、幻想だったり、期待は自分の中で凝り固まったままで。

それが、現状と矛盾して焦りを生んでいる。

現実とも矛盾しているかもしれない。

 

 

自分が動いて、お金と時間を使って、

その矛盾を埋めていきたい。

現実を見て、答えを出したい。

 

今の生活は、平和だけど物足りない。

 

大学の頃、田舎で勉強していた。

留学するためだから頑張れた。

東京に何度も就活に来た。

東京に住み、働くためだから頑張れたんじゃないだろうか。

結局、京都で働くことになった。

その半年後、新潟と東京の2択で、新潟を選んだ。

さらにその半年後、東京での仕事に就いた。

その時は、東京というより、職種と、研修で3ヶ月海外に行ける、ということが決め手になったような気がする。

結局、海外研修後、東京ではなく神奈川に部屋を借りた。

それも、自分の意思と、会社の人の勧めと、一緒に住む人への気持ちがごっちゃになっていた。

 

私はこうやって、自分1人ではなく、

人間の渦の中で流されたり主張したりしながらやってきたようだ。

 

今回、給料の1/3を住居費として生活を実践すれば、金銭感覚が変わるかもしれない。

東京に家を借りて1人で住むことも選択肢になるかもしれない。

 

 

ちなみに、大阪に住みたい自分、海外に住みたい自分もいる。

今の生活を大事にしたい気持ちもある。

困ったもんだ。

 

私の東京への執着や固執といった感情は、思考を邪魔するくらいには複雑なようだ。

 

いつかぱっと答えが出ることではないかもしれない。

でも考え続けたい。

疲れるまでは。